今や60歳の4人に一人は95歳まで、更に10人に一人は100歳まで生きるという。高齢化が進む中で思い浮かぶ言葉がある。栄西が開いた臨済宗の禅寺で、日本最古の寺が福岡市博多区にある安国山聖福寺という。江戸時代その寺の住職だった仙厓義梵和尚。禅の境地をわかり易く説き示す軽妙洒脱な多くの言葉と書画を残した。その中の有名な言葉が「60歳は人生の花。70歳で迎えがきたら留守だといえ。80歳で迎えがきたら、早すぎるといえ。90歳で迎えがきたら、急ぐなといえ。100歳で迎えがきたら、ぼつぼつ考えようといえ」である。いつ読んでもほほえましく妙に合点のいく言葉だと感心する。
弊社の近くに流れる神田川。昭和通りにかかる和泉橋のそばに柳原土手跡地の碑が建っている。土手の面影はないが、柳森稲荷までの通りには多くの柳並木が植えられている。五月の風にしなやかに揺れる枝を見ていると、仙厓和尚の書いた禅画「堪忍柳画賛」が思い浮かぶ。その絵の中に「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」の句が書き添えられている。吹き付ける風の中にも耐えがたい風もあろうが、柳はいずれの風をもさらりと受け流してやり過ごす。柳の姿にも人生の手本としての教訓を諭したのであろう。
ところで、百田尚樹著作のベストセラー「海賊とよばれた男」の主人公・国岡鐡造は出光興産創業者出光佐三氏をモデルとした小説である。出光といえば、連想する半世紀以上前の1953年に起きた日章丸事件だ。英国石油メジャーに対抗してイランの原油を輸入した日章丸は、英国海軍の監視網をかいくぐったタンカーの船名で、イラン人に船と問えば「ノアの方舟とタイタニック号と日章丸」と答えるそうだ。運航の決断を下した佐三氏である。この他にも数多くの逸話がある中で、全国各地にある出光スタンドで創業者の写真を飾りたいとの申し出を断り、代わりに仙厓和尚の飄逸な禅画を掛けさせた。人間尊重を経営理念とした佐三氏に相応しいエピソードである。このため、出光コレクションの第1号といえる「指月布袋画賛」をはじめ約1,000件もの仙厓和尚の禅画が保存されている。
さて、小池都知事の「ステイホーム、セーブライフ」の言葉に従って在宅勤務で自粛の日々を過ごしている。基礎疾患を有する身体故に、恐ろしいコロナ禍から柳の如くしなやかに身をかわすように心がけている。平均寿命が伸びる今日、「博多の仙厓さん」と多くの人に慕われ、ユーモアに溢れた生き方を見習いたいものである。そして、「迎えが来たら留守」の年代にあって、87歳で旅立った仙厓和尚並みの「迎えが来たら早すぎる」の年代まで寿命のレベルアップを図りたい。