世界各地の新型コロナウイルスで亡くなられた方の報道で、イタリアやブラジルの墓穴は、急造の墓地に掘られた映像だった。ニューヨークでは墓地が間に合わないため冷凍保存されていた。墓地の話で何故か思い浮かぶ詩がある。高見順氏の「帰る旅」である。「この旅は自然に帰る旅である 帰るところのある旅だから楽しくてならないのだ もうじき土に戻れるのだ 悲しんではいけない 楽しくなくてならないのだ」。作家は食道がん手術から1年後に再入院した際、死を覚悟していたのであろう。死ぬことを帰るところに置き換えた魂の叫びは大きな反響を呼んだ。
今から20年前の夏、会社の研修でインド北部の都市ニューデリーとアーグラとシャイブールを結ぶ黄金のトライアングルを旅した。もの凄い灼熱の旅だったが、印象に残ったのが墓地である。アーグラにある皇帝の愛妃のために建てた墓タージ・マハル。シンメトリーで総大理石の建築物の美しさに目を見張った。一方、ニューデリーにある非暴力で英国植民地からインド独立に導いたマハトバ・ガンジーが荼毘に付された聖地ラージガートである。そこは墓地ではない。ガンジーの遺骨はガンジス川と南アフリカの海に散骨されているためだ。
ところで、今年も広島・長崎の平和記念式典に引き続き、武道館で全国戦没者追悼式典が行われる。新型コロナ感染対策で各行事は規模を縮小して実施されるようだ。また武道館の近傍に千鳥ケ淵戦没者墓苑がある。日中戦争から太平洋戦争での戦没者で、遺族に引き渡すことが出来なかった遺骨を安置している。米国の首都ワシントンDCからポトマック川を渡ってすぐのアーリントン国立墓地。独立戦争からイラク戦争等で戦死した兵士の墓地である。米軍の最高指揮官であったケネディ大統領とジャクリーン婦人が並んで埋葬されおり、並んだプレートの奥には大統領を偲んで「永遠の炎」が灯されている。その雰囲気は、ガンジーのラージガートに似ていたように記憶する。
さて、今年ももうすぐ旧盆の墓参りの季節を迎えようとしている。今のところ筆者はお墓を持っていない。墓をどうするかと考える年代にさしかかっている。孫皆女の子で、孫娘たちに墓守を頼むようなことはしたくないので墓はいらない宣言している。写真以外の生きた証しを残すならば、遺骨から作る人工石のプレートで十分。残った遺骨は散骨を希望している。戦後75年目の全国戦没者追悼式典を前にして、諸外国にあってわが国には何故か無宗教で恒久の戦没者追悼施設がないことを考えさせられる。