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2019年4月26日 令和に相応しい「凛とした経済復活」に期待

平成時代の日経平均株価終値は2万2,258円。市場関係者の多くが平成を表す漢字は「乱(みだれ)」という。経済のバロメーターとされる株価である。平成時代の日経平均株価の推移をみると、元年の大納会は東証市場最高値3万8,915円に、その後バブルは崩壊して低迷期が続いた。H20年のリーマン・ショックで7,162円に、翌年にはGM破綻で更に低下し7,054円まで落ち込んだ。H24年12月にスタートしたアベノミクス効果もあり、昨年の10月2日に26年ぶりに2万4,270円を達成した。だが、その年の大納会は7年連連続の陽線を達成しなかった。平成時代の最高値と最安値の値幅は3万1,863円で、まさに「乱」といえる。

経済成長率の面でも平成時代の当初は先進国中ナンバーワンであった。今では先進国中最低水準に落ち込んだままである。新1万円札の肖像画に決定した渋沢栄一が、「民間が資本を持ち寄って富を増大させるのが株式会社だ」と説いて現東証の前身である東京株式取引所を設立させた。本来ならば、東証1部は日本を代表する優良企業の集まる市場であるはずだが、約2,100社の中には低収益の企業が混在する。上場企業数の絞り込むため、上場に必要な時価総額を現行の20億円から250億円前後に引き上げて、市場の有効活用による企業業績の拡大を目指そうとしている。この改革で経済成長率の向上に寄与するならばもって瞑すべし。

ところで、直木賞作家である木内昇著「万波を翔る」に登場する主人公の幕臣田辺太一と渋沢栄一はパリ万国博覧会の幕府随員として赴任。その際の会話に「金の流れこそが世をつくる。たいそうな肩書きがあっても、金がなければ顎が冷えあがる」と、公卿の困窮振りを話す渋沢の武士らしからぬ言葉に驚き呆れる田辺。そもそも武蔵国血洗島村の農民で、20歳の頃異人切りを企て、奉行所に追われて京に逃げ込んだ。運よく一橋家の用人なり、たちまち勘定方として能力を発揮、慶喜公に見出され、渋沢篤太夫と名乗り御勘定格陸軍附調役となった。まさに渋沢の「日本資本主義の父」と呼ばれる原点がそこにあるようだ。

さて、平成が終わり、昭和の位置づけが後退した。S40年代に全国の大学で吹き荒れた学園紛争。権力に立ち向かった当時の学生の大半が今や後期高齢者前後である。学生運動で発揮された青春時代の情熱と活力が昭和から平成にかけて経済発展に原動力になった。時代という時間は待ったなしで刻んでいく。平成時代に青春を過ごし、働き盛りになった諸君の奮闘によって、新元号の出典である万葉集の梅花、春に先駆け咲く姿のように「凛とした令和経済復活」に期待したい。


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