2022年9月14日 【産総研】紀伊半島南部の橋杭岩周辺で巨大津波の証拠を発見-巨礫の移動から南海トラフ沿いの1707年宝永地震津波よりも大きな津波が来襲したことを解明-

■ポイント□

〇橋杭岩周辺に散らばる巨礫は過去の巨大津波の証拠

〇歴史上最大の1707年宝永地震による津波を超える規模の津波が存在したと推定

〇南海トラフ沿いの巨大地震津波の定量的な解析に貢献

 

国立研究開発法人産業技術総合研究所等の研究グループは、和歌山県串本町にある名勝・橋杭岩(はしぐいいわ)の周辺の地質痕跡から、南海トラフ沿いで過去最大とも呼ばれる「1707年宝永地震」の津波よりも大きな津波がこの地域に来襲したことを解明した。

海岸に一直線に並んだ巨岩列で知られる橋杭岩はマグマの貫入によってできた岩石。橋杭岩の周辺には、多数の巨礫が散らばっており巨礫も同じマグマ由来の岩石からなるので、橋杭岩から分離して周囲に移動したものと考えられる。

その移動の原因について、過去に大きな津波や高潮などで巨礫が橋杭岩から運ばれたためと推定した。そこで、これらの巨礫の位置や大きさを測定し、どのくらいの規模の津波によって巨礫が動くか計算した。

計算の結果、南海トラフ沿いで歴史上最大とされる1707年宝永地震の津波の規模でも動かない巨礫が存在することがわかった。これは、1707年津波を超える大きな津波がかつてこの地を来襲し、巨礫を動かしたことを意味している。全ての巨礫が動くためには、1707年地震に加えて沖合のプレート境界の分岐断層が大きくすべることや、あるいは1707年地震の断層面上が2倍を超えて大きくすべることなどが考えられる。

この研究成果は、産総研活断層・火山研究部門 海溝型地震履歴研究グループの行谷佑一主任研究員、地質調査総合センター連携推進室国内連携グループの宍倉正展グループ長と、法政大文学部の前杢英明教授、㈱環境地質の越後智雄東京支店長によるチームによるもの。

研究の詳細は9月6日に地球科学の専門科学雑誌「Tectonophysics」誌に掲載された。


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