岡山大学学術研究院ヘルスシステム統合科学学域(医)生体機能再生再建医学分野(眼科)の松尾俊彦教授、劉詩卉特任助教(現在は上海交通大学医学院眼科医師)、同大学院ヘルスシステム統合科学研究科の松尾智江客員研究員、同学術研究院医歯薬学域(薬)精密有機合成化学分野の阿部匠講師は、奈良時代に鑑真和上が唐から日本にもたらした漢方薬の詳細を明らかにして、漢方薬に関する総説を発表した。世界に類を見ないわが国の特徴として、現代日本では同じ保険診療でいわゆる西洋薬と漢方薬を同時に処方することができる。また、一般用医薬品として漢方薬を薬局で購入することもできる。わが国のこのように整理され体系化された漢方処方の源流は、鑑真和上がもたらした漢方薬にあることが分かった。
この研究成果は、スイスの化合物専門誌「Compounds」に掲載された。今後、漢方薬の中から新たに有用な成分がみつかり新薬が開発されることが期待される。
わが国では、保険診療の中で政府によって薬事承認された漢方薬がいわゆる西洋薬と一緒に処方されている。また、一般薬(一般用医薬品)として漢方薬を薬局で購入することもできる。わが国のこのように整理され体系化された漢方薬の処方の源流は実は奈良時代に来日された鑑真和上がもたらしたものではないかと考えられてきた。
鑑真和上がもたらした漢方薬の一部は東大寺正倉院に保存され、処方の一部は、平安時代の984年、丹波康頼が編纂した現存する日本最古の医学書「医心方」に記載されているが、全容は不明。
鑑真和上は日本に戒律を伝えたことで有名だが、同時に漢方薬をもたらし、素材の見分け方や処方を当時の弟子たちに教えている。
鑑真和上は中国揚州で生まれ、揚州の大雲寺で修行し、そこで漢方薬について師から学んでいる。日本に渡航するにあたり、多くの書籍とともに漢方薬の素材や処方をもたらしている。鑑真和上が日本にもたらした漢方薬の処方の全容を探索する中で、劉詩卉博士は現代中国の廃版書籍「三宝問世(鑑真秘伝三宝)」を見つけ、その著者と連絡をとり、著者「雷雨田」は、鑑真和上が日本にもたらした漢方薬と同じセットの現物(鑑上人密方)を代々受け継いできた52世であることが判明した。鑑真和上の漢方薬の処方をみると、現代日本で薬事承認されている漢方薬処方の源流であることがよく分かる。