2022年5月19日 【熊本大】青年期の北里柴三郎に関する重要史料を発見

■ポイント□

〇世界的な細菌学者である北里柴三郎(1853-1931)が、青年期に小国郷(現阿蘇郡小国町・南小国町)の教師と役所の見習に採用されていたことを示す記録(辞令の控え)が、小国町教育委員会所蔵の「小国町町政史料」から発見

〇この新出史料は、柴三郎の履歴の空白部分を埋めるとともに、当時は軍人を志望していた柴三郎に、医学の道へ進路変更する人生の転機をもたらしたものとして、重要な意味をもつと考えられる

 

熊本大学永青文庫研究センターの今村直樹准教授と小国町教育委員会は、当時17歳であった、のちの世界的細菌学者・北里柴三郎が、明治3年8月に小国郷の教師と役所の見習に採用されたことを示す辞令(控え)を発見した。

これは、当時の柴三郎の進路に地元の教師が想定されていたことを明らかにするとともに、のちに医学の道へ進路変更する転機をもたらした人物(安田退三)との出会いを意味する、重要な史料と考えられる。

のちに世界的な細菌学者となる北里柴三郎は、嘉永5年12月20日(1853年1月29日)、阿蘇郡小国郷の村庄屋の長男として生まれた。

青年期、軍人を志望していた柴三郎は、明治2年(1869年)12月に熊本藩の藩校時習館に入寮し、翌3年7月に時習館が廃止されると小国にいったん帰郷。その後、翌4年2月に同藩が新設した西洋医学所(古城医学校)に入学し、そこでオランダ人医師マンスフェルトの指導を受け、医学を本格的に志したことが一般的に知られている。

一方で、柴三郎の最も古い伝記である宮島幹之助編『北里柴三郎伝』(北里研究所、1932年)には、時習館廃止後に彼が帰郷した際、両親や親戚たちが地元の教師になるように強く勧めたこと、また、その後の数か月間、小国郷の行政担当者であった熊本藩士安田退三の家に書生として寄宿し、安田夫妻の薫陶を受けたことで軍人志望を捨て、医学校に入学することになったエピソードが記されている。

しかし、時習館廃止後から医学校入学までの柴三郎の動向を示す史料は極めて少なく、上述した両親たちの勧めや、安田との関係についても、史料上では未確認のままだった。

今回発見された辞令は、江戸時代後期から昭和期にかけた小国町域の行政史料群「小国町町政史料」における、「明治二年 選挙一巻」という冊子から発見されたもの。「明治二年 選挙一巻」は、明治2年から同5年3月までの小国郷での人事関係記録をまとめたもので、役人・神官・僧侶などの任免や、それに係る関係書類が収録されている。

辞令は、時習館の廃止後、柴三郎が帰郷していた明治3年8月26日付。内容は、芝(柴)三郎を、小国郷の「教導師」であった鈴木諫太郎の後任とともに、「大属小国詰所」の見習に採用し、出勤中は飯米を支給するというもの。

「教導師」は、江戸時代から小国郷宮原にあった郷校「筑紫学舎」の教員を指し、「大属小国詰所」とは、熊本藩領であった豊後国久住と小国を管轄した行政担当者(郡政大属)の小国出張所を意味している。当時、小国・久住の郡政大属を務めていたのが、前述の安田退三だった。


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