文部科学省が「いじめの重大事態の調査ガイドライン」を定め、全国の都道府県教育委員会などに通知したのは、今年3月下旬のことだった。「いじめ防止のための基本方針」を改定するとともに、新たにガイドラインを策定したものだ。ガイドラインを受けて、親御さんにしてみれば、何を今さらというのが実感だろうと推察するが、教育委員会の中には、自殺案件などを見直し、認識を撤回したケースも出てきた。 

 自殺にまで至ってしまう子どもたちの切実な訴えを認識できなかったという教育委員会、そして学校、教員というのは、いったいどういう人たちなのかという疑問がどうしても先に立つ。また、いじめをいじめと認識できない生徒たちの将来はどうなんだろうかという疑念もわいてくる。

 いじめ防止に向けた方針では、「いじめから一人でも多くの子どもを救うには、子どもを取り囲む大人一人ひとりが〝いじめは絶対に許されない〟〝いじめは卑怯な行為〟〝いじめはどの子どもにも、どの学校でも、起こりうる〟との意識」を持つことの重要性が強調されている。その上で、いじめの問題は、心豊かで安全・安心な社会をいかにしてつくるかという学校を含めた社会全体に関する国民的な課題だと指摘されている。 

 他人の弱みを笑いものにしたり、暴力を肯定していると受け取られるような行為を許容したり、異質な他者を差別したりといった大人の振る舞いが、子どもに影響を与えるという指摘もあるようだ。このほかにも、所詮、他人事として事案に対処している現実もあるのではないか。表面的な調査しかできず、それぞれの学校が抱える問題の根もとまでえぐるような実態把握ができていない現実があるのではないか。 

 保身に走るのに大人や子どもの区別はない。まさかあの子が嘘をつくはずかがないと思った程度の認識で調査に臨んでも、重大事態の発見は遅れるばかりだろう。「ヤバイ!」と思えば、天使(?)でも悪魔になり得る。特に教員に要望したいのは、本質を見抜く覚悟をもって対応してほしいということだ。